白豪主義(4)

 

 翌年の1965年には、「白豪主義」を意味する表現は、公には姿を消したが、その実態に、ほとんど変化は見られなかった。
 ヨーロッパからオ−ストラリアへ移住を希望する者には、渡航補助費などが支給されるが、アジアやアフリカ地域からの移民には、一切認められていない。
 そればかりか、アジアの人々には、英語その他の厳しい試験が課せられ、この試験に合格するのはきわめて困難だった。
 ここで、一人の少女を巡る“象徴的な出来事”を紹介したい。
 1973年、労働党政府は、新しい移民法に基づいて、ナンシー・プラサドさんという少女の再移住を認める決定をした。この少女は、「インド人」という理由で、オ−ストラリアでの永住が認められず、国外に追放されていたのだ。