「オーストラリアを知らせる勝手連」(37)

 

 1981年の5月、ドッヅ氏の努力もあって、茂泉氏ら会員4人がオーストラリアを訪問し、各地の団体に、「オーストラリアにも、家族交流協会と同じような組織を作ろう」と呼びかけた。
 現在、オーストラリアの団体と細部に渡っての「最後の詰め」が行われているが、茂泉理事長は、
「観光やワーキング・ホリディーで日本にやってくる人たちを積極的に受け入れたい。
 私たちが働きかけ、レールを敷きさえすれば、日豪間の交流はもっと盛んになるはずだ。
 経済だけでなく、人間や文化の面での交流を深めれば、子孫にとって大きな遺産になるはずだ」と、張り切っている。