「知られざる日豪関係」(2)

 


 オーストラリアは、建国以来、よその国(外敵)から攻撃されることはなかった。
 ところが、1942年2月19日、日本軍は、北部特別地域にあるダーウィンを攻撃した。
 オーストラリア本土にとって、「初めての空襲」だった。
 このときは、郵便局に落とされた爆弾で、25人の民間人が死亡している。
 また、同じ年の3月3日、西オーストラリア州のブルーム飛行場で、当時のオランダ領・東インドからの避難民を乗せて着陸したばかりの飛行機が、6機のゼロ戦に襲われ、70人が死亡した。
 さらに、5月31日から6月1日にかけては、3隻の日本の特殊潜航艇がシドニー湾に潜入し、その攻撃で、19人のオーストラリア軍とイギリス軍水兵が犠牲となっている。