「山本康久氏の証言」から(7)
「極秘訓練」は、「特殊潜航艇」を使ってのものだった。
この「潜航艇」は二人乗りで、長さ23,9メートル、魚雷2本を持つ小さな潜水艦で、「100人乗り・100メートルの潜水艦」を「小型化したもの」だった。
この潜水艦を、「母艦」である2,400トンの潜水艦の後甲板に、「おんぶ」する格好で積み、ハワイ沖まで運んだ。
なぜ、小型の潜水艦を背負って、ハワイ沖まで行かなければならなかったかは、後の「せん滅作戦と渡洋作戦」の項で詳述するが、ワシントンとロンドンで開かれた軍縮会議で、米・英・日の補助艦の比率が、「5・5・3」に制限されたことによる。
これは、一般の方に理解を求めるのは難しいかもしれない。
だが、当時の日本にとっては、戦略上、大変重要なことだったのだ・・・。