「山本康久氏の証言」から(14)

 

「特殊潜航艇を1隻でも多く参加させられるかどうか」が議論になった背景には、こういう事情があった。
 山本長官は、終始、「日米開戦は、今はやる時期ではない。『ハル会談』の成立を望んでいる」・・・。
(注:昭和16年4月16日に開かれた「 野村・ハル会談 」で、「ハル4原則」が野村大使に手渡される。
 8月1日 、アメリカが、日本に対する石油の全面禁輸を決定。すでに、アメリカの妨害工作で、東南アジアからの石油も入らなくなっていた。日本は、まさに「石油の兵糧責め状態」だった。
 さらに、11月26日に米側から提案(ハル・ノート)が示される。
 11月27日、政府・大本営連絡会議は、これを「最後通牒」と受け止めて、開戦に踏み切ることになる?)。
 山本長官は、「日本の潜水艦が、ハワイ沖へ出向いているのが見つかり、あるいは見つかったために、まとまるべきはずの日米会談が壊れてしまってはならない。
 それゆえに、訓練未熟な伊24号潜水艦の出撃は、認められない」と判断していた。