「山本康久氏の証言」から(15)

 

 一方、 陸上で作戦を練っている 軍令部は、あくまでも、「5隻出撃させよ」と主張した。
 すでに述べたように、「5隻」と「4隻」とでは、作戦上、大きな違いがあると考えたからだろう。 
「現場の艦隊」と「陸上の軍令部」の意見が分かれるのは、むしろ「当然」だった。
「軍令部」は、民間会社で言えば、「中央の管理部」のようなもので、「現場のこと」は、よく知らないからだ。     
 われわれは、逆に、「この千載一遇のチャンスを生かさなければ」ととらえて、艦長に「出動」を訴え続けた。   
 11月17日の深夜、伊24号を含む5隻の母潜が、特殊潜航艇を背負って(搭載して)、呉港から次々に出動する。そして、18日の未明に豊後水道を通過したとき、北方回りの機動部隊の空母と出合った。
 まだ暗かったので、発光信号で「健闘を祈る」と、交信し合ったという。