「山本康久氏の証言」から(17)

 

「捕虜第一号」となった「酒巻和男さん」の名誉のために、当時の司令・佐々木半九さんの書かれた「決戦特殊潜航艇(朝日ソノラマ出版=昭和59年9月発行)を要約し、その一部を紹介させていただく。
「特潜の最後の整備中に、ジャイロ・コンパス(羅針儀)の故障が見つかった。
 特潜指揮官の酒巻和男少尉も、『コンパスの故障は、致命的な打撃である』と、十分認識していたが、真珠湾を目前にして引き返すことはできず、『故障のまま発進すること』を決意する。
 若くて元気いっぱいの砲術長・山本康久中尉(実は、この貴重な冊子をわたしに提供してくださった方)も、これに賛成したが、艦長の花房博志中佐は、なお決を下しかねていた。
(中略)
 発進予定時刻も過ぎ、その上酒巻艇長自身が、『コンパス故障のままでも行く』と強く主張したので、ついに発進に踏み切った・・・。」