「山本康久氏の証言」から(18)
「花房艦長の『成功を祈る』という言葉を後に、酒巻艇は母潜を離れた。
(中略)
コンパスが故障したまま発進した酒巻艇は、まったくの『盲目潜航』だった。
湾口に接近しようとしたとき、潜望鏡で見ると、自艇が真珠湾から遠ざかっているのに気づいた。
『夜明け前に湾内に潜入して待機する計画』だったが、そのとき、すでに夜は明けていた。
酒巻艇は、三度も浅瀬に座礁し、その間、米哨戒駆逐艦二隻による砲撃と爆雷攻撃を受けていた。
それでもなお、朝早くからから夜暗くなるまで『湾口突破』を繰り返す・・・。
12月8日、昼間に受けた爆雷と座礁とで、艇内の機械が故障し、魚雷の発射は不可能になっていた。
残された唯一の手段は『体当たり』だった。
これを実行しようと、夕方から夜にかけて再度侵入を試みたが、ついに果たせなかった。」