「山本康久氏の証言」から(19)

 

「そこで、『次期攻撃への再起』(シドニーシンガポールなどが予定されていた)を決意して、8日の夜、あらかじめ決められていた『特潜の収容地点』に向かった。
 途中、悪ガスと高圧空気のため、何度か失神したが、月の明かりを頼りに走っていると、9日の夜明け前、前方に薄い島影が二つ見えた。
『ラナイ島とモロカイ島の間』と判断できた。
 だが、『全放電状態』となり、艇は停止してしまった。
 しばらくして電動機を動かしたものの、瞬間航走の直後、さんご礁に乗り上げた。
 ここで、艇の自爆装置に点火し、二人は脱出する。
 飛び込んだとき、さんご礁でけがをしたが、それ以上に疲労が激しく意識不明となり、気がついたときには、米軍の病院の寝台に身を横たえていた。」