「山本康久氏の証言」から(20)

 

「『捕虜第一号』の酒巻和男少尉である。
 艇付きの稲垣清・二等兵曹は、最初は泳ぎながら声を出していたが、そのうちにわからなくなってしまった。
 酒巻少尉は、その後、米軍将校の話などから、次のように判断している。
『艇は、潮に流されてオアフ島の北東岸に漂着。
 自爆装置の導火線の火は、湿気のため途中で消え、艇は海岸に打ち揚げられて米軍に捕獲されてしまった。
 付近の浜辺に漂着して、米軍に収容され、艇付き(注:稲垣清・二等兵曹)は、そのまま溺死したか、あるいは、フカに食われたものと思う』。
 捕獲された酒巻艇は、米本土に送られ、国民の戦意高揚のために、主要都市で公開された。
 酒巻少尉が捕虜になったことは、スウェーデン辺りの中立国を通じて、すぐ日本に通知があったという。」