「山本康久氏の証言」から(22)

 

(再び、この貴重な冊子をわたしに提供してくださった砲術長・山本康久中尉の「証言」に戻る)。
 わたし(山本さん)が乗船していた伊24は、昭和18年に沈んだので、酒巻君は、「わたしは死んだものと」思っていたようだ。
 現在(講演された当時)、彼は、自動車会社に勤務している。
 わたしが、2年前、彼の系列会社で講演したときに来られた方が知らせてくれたのか、後日、酒巻君から手紙が届いた。
 真珠湾の入り口で別れて以来、酒巻君とは会っていない。
 彼も、「ぜひ、会いたい」と、わたしに伝えてきた。
 ところで、わたしたちが真珠湾攻撃に出撃する際、山本五十六長官は、最後まで? 「日米会談の成立を望んでいる」という話を聞いていた・・・。