一方、わたしたちは、「せっかく特別攻撃隊に編入されて、ハワイ沖まで来ているのに、開戦にならずに帰るのではおもしろくない」と考えていた。
そんなとき、12月3日の夜、「新高山登れ」(開戦日を予定通り、12月8日に決定す)の電報を受信し、「これで、いよいよやれるのだ」と張り切った・・・。
ハワイ沖に着いたのは、12月6日だった。
実は、わたしは、昭和14年に、遠洋航海でハワイに行ったことがある。
午前3時ごろだったが、真珠湾の出口に艦を止めたとき、指導官から、
「お前たちのうちの数名は、数年ならずして、またこの明かりをを見ることになるだろう。
よくスケッチしておくように」と言われていた・・・。