「山本康久氏の証言」から(24)

 

 指導官のアドヴァイス? に従って、わたしたちは、湾口の沖3マイルの地点から、真珠湾をスケッチした。
 わたしは、ちょうど2年後に、この湾口を再び訪れたことになる。
 当時のスケッチや指導官の言われた言葉を思い出し、「感無量」のものがあった。
 最近、ハワイに行って、実際にこの現場を見たのは、わたししかいないと思う。
 出撃するとき、ここに酒巻君を呼んで、
「あれが入り口だ」などと説明して、彼を「発進」させたのだった。
 だが、彼の特潜は、そのときすでに「ジャイロ・コンパス」が故障していて、「盲目状態」だった。
 本来なら、「湾内に侵入することは不可能」だった。
「潜航艇を発進させるかどうか」ためらったのは、そのためだ。