「山本康久氏の証言」から(26)

 

「せっかく、ここまで来たのだから」と、攻撃に参加する方に賛成した。
「わたしは、遠洋航海でハワイを訪れて真珠湾を見ているので、入り口のわかるところまで案内してやる」と言って、入り口の見える地点まで誘導し、そこで彼に別れを告げた。
 これが、「最後」だった。
 それ以来、彼とは一度も会っていない。
 今度、彼と再会する機会があったら、実に30年ぶりのことになる。
 浦島太郎が、「玉手箱」を開けて、一瞬のうちに年を取って驚いたように、お互いの変貌ぶりに、さぞかし「驚嘆する」に違いない。
 一方、ガダルカナル攻撃の際には、T君を連れて行ったが、このときも、やはり、「ジャイロコンパス」が故障した・・・。