「山本康久氏の証言」から(28)

 

 これについては、後に、彼(酒巻少尉)の書いた「捕虜第一号(当時のベスト・セラーになった)」をお読みいただきたい。
 ところで、12月7日の夕刻に酒巻艇が発進したあと、わたしたちは、翌日の「12月8日」を待ち続けていた。
 ホノルルからのラジオ放送に耳を傾けていると、「日本の大船団が、台湾沖を南下している」などと、「風雲急を告げる? 様子」を伝えていた。
「私たちの作戦も、察知されたのではなかろうか」と心配していたが、それに続くニュースでは、
「クリスマスの売り出しの準備が整ったので、早めにお買い求めください」などと放送していた。
 これを聴いて、「われわれには、まだ気づいていない」と、一安心した。
 そんな中、8日の朝には、予定通り、機動部隊の攻撃が開始された。
 それに呼応して、「特殊潜航艇による作戦」も実行に移される・・・。