「山本康久氏の証言」から(34)
世の中は、「広いようで、狭いもの」のようだ。
われわれが弾を撃ち込んだとき、三井生命の狩野不動産部長の知人が「シドニーにいた」という。
その人は、昭和18年の交換船で帰還する際、当時の新聞を「せっけんの中に、こよりにして」持ち帰り、海軍省に提出した。
昨年の8月、狩野部長の仲介で当のご本人に会わせていただいたが、本当に「不思議なご縁」だった。
敵の警戒が厳重になるのを防ぐため、特殊潜航艇が攻撃するまでの行動は、「隠密」にしていた。
特潜による攻撃がひとまず終了したあと、次の標的に選んだのは「商船」だった。
ちょうど「獲物」を探しているところへ、ニュージーランドからシドニーに入る商船を発見する。
わたしたちは、夜になるのを待って、直ちにこの船の追撃を開始した・・・。