「山本康久氏の証言」から(41)


 われわれ特別攻撃隊も、ガダルカナル攻撃には何度か出撃した。
 だが、ガダルカナルは、ついに敵に奪われてしまう。
(注:1942年8月〜1943年2月、日米両軍は、ソロモン諸島ガダルカナル島を巡って激しい戦いを繰り広げた。第2次大戦の3大激戦地の一つ)。
 その後、戦局はさらに悪化する。
 わたしたちの潜水艦は、ニューギニアのプナやライ、サルモアなどにいる陸軍の「食料輸送」に当たることになった。
 水上艇では、敵の飛行機に攻撃されるからだ。
 敵艦(艦船)との戦闘と違って、敵機(飛行機)の猛攻にさらされての輸送は、思うようにはかどらず、本当に「つらい日々」が続いた・・・。