「山本康久氏の証言」から(46)


 しぶしぶ、一カ月分の航海手当をあきらめて艦を降りたのだが、その艦・ロ114号潜水艦は、サイパンに到着する前に沈没した。
 もし、わたしが宴会場にオーバーを忘れることがなかったら、艦とともに運命を共にしていたに違いない。
 当然、今日、こうして皆様とお会いすることはできなかっただろう。
 潜水学校は、広島県大竹市ににあり、「甲種学生」のときの仲間11人が、大竹市の近くの地御前というところで新婚生活を送っていた。
(注:広島県廿日市市地御前。宮島の厳島神社を本宮、対岸にある地御前神社を外宮(現在は摂社)と呼んでいたが、本宮の御前にあるので、当時は「地の御前社(じのごぜんしゃ)」と呼ばれていた。それが、後に「地御前(じごぜん)」という地名になったという。大田川の清流と内海の海水が育てる広島牡蠣”じごぜん”で知られている=googleより)。