「山本康久氏の証言」から(51)


 昭和12年に、アメリカは一度は「戦争を決意した」が、「開戦」はやめた。
 逆に、16年のときには、山本(五十六)長官が、
「今は、開戦の時期ではない。日米会談の成立を望んでいる」としたのに対し、ハル長官(参考:米国務長官コーデル・ハル。日本に向けて三国同盟の破棄や満州国、南方諸国からの撤兵などを求める強固な最後通告をした人物。いろいろな見解があるので、明確にはわからないが、「ハル・ノート」が出る前には、もっと柔和で協力的な日米諒解案が提示されていたのに、これを、「弱みを見せれば、彼の国は増長する一方だ」と日本の外相が蹴ったことが大きな理由だ? とも言われている?)は、この機を逃すことなく、開戦に踏み切った。
 昭和12年と16年のときとを比べると、「大きな違い」があったように思う。
 アメリカは、「戦争を決意する時期と開戦する時期」とをよく知り、うまく使い分けていた・・・。