「山本康久氏の証言」から(53)


「共倒れになるのを恐れて、開戦しなかった」だけなのだ。
 お互いに「不倶戴天の敵」ではあるが、「必ず勝てる見込みが立つ」までは「開戦」しない。
 これが、最も大切なことだ。

(ハ)終戦時のスターリン
 松岡洋右(注:1880-1946 政治家。山口県生まれ。
オレゴン大卒。外交官を経て代議士。1933年(昭和8)国際連盟首席全権として、連盟脱退を宣言。満鉄総裁を経て、近衛内閣の外相として日独伊三国同盟、日ソ中立条約を締結)が、初めてドイツを訪問するとき、モスコー(モスクワ)に立ち寄った。
 だが、スターリンは、一切相手にしてくれなかった。
 ところが、ドイツに行って「防共協定」を結んだ帰りに、再びモスコーを訪ねると、スターリンは松岡を大歓迎し、直ちに「日ソ不可侵条約」を結んだ。
 そのときすでに、スターリンは、やがて「独ソ戦の起こること」をキャッチ(予想?)していたのだ・・・。