「山本康久氏の証言」から(55)


 ソ連にとって、日本は「恩人のはず」だった。
 だから、終戦のとき、日本は「ソ連が、恩を感じている」と考えて「仲介」を依頼した。
 ところが、ソ連は、日本の期待に反して? 「間もなく、日本は倒れる。侵略するのは今だ」とばかりに、わずか一週間で、満州全部を、それも、「自らの兵を傷めることなくして」奪ってしまった。
 この点に関しては、ソ連がいかに「はっきりしている」かがおわかりいただけると思う。
 戦争をするなら、「とうの昔に決意し、なるべく損害の少ない時期を選んで」決行する。
 これが、「戦いの常道」だ。
(イ)(ロ)(ハ)の実例でもおわかりのように、ソ連アメリカも、この点については、「十分心得ていた」のだろう・・・。