「山本康久氏の証言」から(57)


 二、人並みの努力では、人並みの結果しか得られない

 これは、わたしが戦時中から戦後の今日まで、「座右の銘」にしている格言だ。
 どういうことか説明すると、戦争当初、「ハワイを攻撃した」ときには、「4隻の潜水艦が組んで(一組になって)」出撃した。
 その2カ月後、今度は1カ月かけて整備をし、それからまた攻撃に参加する。
 だから、一つの行動(攻撃)パタンは、「3カ月単位」ということになる。
 これを、前進基地で3〜4回繰り返し、8カ月から1年を経て、内地に帰ってくるのだ。
 要するに、「3カ月に一回、2カ月間に渡る」作戦行動をしていた。
 最初のうちは、3回ぐらい出動すると、4隻のうち「沈められるのは1隻」(四分の一の割合)だったが・・・。