「山本康久氏の証言」から(64)


 一方、ドイツ流は、長(上に立つ者?)は、必ず部下よりもそのことについて立派にやり遂げられなければ、「命令もできないし、長たる資格」もないというものだった。
 兵学校で「英国流の教育」を受けたわたしたちは、違っていた。
 極端な一例を申し上げると、わたしたちは、入学して「宣誓書」を読んだ瞬間から、10何年も先輩である一等兵曹の「上位」になってしまうのだ。
 だから、これら下士官の教員がわれわれに教えるときには、「命令形」ではなく、「(第)三人称」を使わなければならなかった。
「お前たち(?)は、将軍の卵である。皇太子は、生まれながらにして、皇太子なのだ」と、わたしたちは厳しく教え込まれた・・・。