「山本康久氏の証言」から(最終回)


 追記:昭和47年4月27日、ハワイを再び訪れる機会を得て、真珠湾アリゾナ記念館の上より、この海の底で静かに眠る戦友古野、横山両君の霊に花束を捧げ、冥福を祈って参りました。
 
 昭和41年12月「ロータリークラブにおける講演速記録」より
 鹿島建設株式会社専務取締役(注:当時) 
    山本 康久氏


(初めにも書いたように、あるパーティーの席で、当時、鹿島建設の常務をしておられた山本康久氏とお会いする機会があった。
シドニー湾の攻撃に、直接参加された」という山本氏との会話は尽きることがなかったので、「機会を見つけて、もう一度お会いしたい」と懇願してお別れした。
 後日、ご親切にも、わたしの手元に「貴重な資料」が送られてきた。
 タイトルは、「真珠湾シドニー攻撃と所感〜人なみの努力では人なみの結果しか得られない〜」というものだった。
 この講演の要旨を「文章」にして、およそ70回に渡り、「山本氏の貴重な戦争体験」として紹介させていただいた)。