● 作家の描いた「特殊潜航艇」(11)


(「特殊潜航艇」(6)に続く)
「特潜の生き証人」としての豊田さんのこのあとの記述が、私の心に鋭く突き刺さった。
「私はそんなことを考えながら、飽かずに海面を見下ろしていた。
 この湾の構図を自分の胸のなかに叩き込んでおきたい、と考えていた。
 それはただ取材のためだけではない。
 六人の搭乗員が青春を賭け、そして果て、眠った場所を、私は自分のなかに刻み込んでおきたいと希(ねが)ったのである。」
 豊田さんは、昭和48年3月4日に、シドニーの海軍基地を訪れ、「太平洋戦史専門の担当官」であるA中佐ら二人のオーストラリア士官と会った・・・。