●「続・知らざる日豪関係」(8)

 当時は、いわゆる「白豪主義」が盛んだったが、1940年、オーストラリアには、潜水夫(ダイバー)や貿易商など、およそ1,000人の日本人が住んでいたという。
 ところが、「日独伊」の同盟国と「米英」の連合国とが争った第2次世界大戦で、オーストラリアは、「連合国側」に加わり参戦する。
 つまり、日本は、オーストラリアの「敵国」になったのだ。
(余談だが、フィリピンで日本軍に敗北したとき、アメリカ軍のマッカーサー将軍は、オーストラリアのダーウィンに脱出し、記者団を前に、「アイ・シャル・リターン(わたしは戻ってくる)」と言って、「勝利」を約束した話は広く知られている)。
 その彼が日本軍の反撃に備えていたのが、実は、「オーストラリアのブリスベン」だった・・・。