●「続・知らざる日豪関係」(9)
マッカーサーは、1944年10月から転じた反攻作戦に成功し、公約どおりフィリピンに戻って、同年12月に元帥に就任した。
(クインズランド州・ブリスベンのクイーン・ストリートとエドワード・ストリートの北東角に、「マッカーサー・セントラル・ ビル」がある。
この建物は、1930年から34年にかけて建設されたもので、1942年から44年まで、ダグラス・マッカーサー将軍が、「連合軍南西太平洋域本部」として使用していた。
ここには、多数のオーストラリア兵とアメリカ兵が駐屯し、また最後の3年間は、クイーンズランド大学の一部のキャンパスも、「兵舎」になった。
1942年には、オーストラリア兵とアメリカ兵が市内で争った「ブリスベン騒乱事件」が発生している)。
マッカーサーは、1944年10月から転じた反攻作戦に成功し、公約どおりフィリピンに戻って、同年12月に元帥に就任した。
(クインズランド州・ブリスベンのクイーン・ストリートとエドワード・ストリートの北東角に、「マッカーサー・セントラル・ ビル」がある。
この建物は、1930年から34年にかけて建設されたもので、1942年から44年まで、ダグラス・マッカーサー将軍が、「連合軍南西太平洋域本部」として使用していた。
ここには、多数のオーストラリア兵とアメリカ兵が駐屯し、また最後の3年間は、クイーンズランド大学の一部のキャンパスも、「兵舎」になった。
1942年には、オーストラリア兵とアメリカ兵が市内で争った「ブリスベン騒乱事件」が発生している)。