●「続・知らざる日豪関係」(13)

  この事業に関連して、日本人数千人が 、主にオーストラリアの木曜島周辺とブルームで、第2次世界大戦の直前まで、「貝殻採取の潜水夫」として活躍していた。
(開戦後、彼らは逮捕・拘束される)。
 戦争が終わってから採取事業は再開されたが、オーストラリアの漁獲規制の強化やプラスチックの登場で「貝ボタン」が不振となり、1961年に中断された。
  それ以後は、オーストラリアの業者が、小規模ながら操業を続けて今日に至っている。
  当時の日本人の様子に関しては、司馬遼太郎さんが、「木曜島の夜会」で紹介している。
 司馬さんは、この小説を書くため、木曜島に一週間ほど滞在し、日本人のダイバーから「真珠貝採取」について、直接取材されたという。