●「続・知らざる日豪関係」(15)

 
 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


 中野不二男さんは、このあと、次のようにつづっておられる。
「1978年のクリスマスの日、チモール海に面したオーストラリア北西部の海岸町ブルームで、「元日本人」ヤスムラとアンザイを取材していた私は、二人がふと漏らした話に驚き、身を乗り出して念を押した。
 カウラ事件とは、第二次大戦中オーストラリアのカウラにあった連合軍捕虜収容所で起きた、大戦史上最大といわれる、日本兵捕虜の集団暴動事件である。
 南忠男は、その捕虜集団の中心人物であり、その自殺的暴動の最先頭に立ち突撃ラッパを吹き鳴らした、若き海軍パイロットだといわれていた。」