●「続・知らざる日豪関係」(19)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「ヤスムラたち採貝の民間人はブルームで逮捕され、その後サウス・オーストラリア州のラヴデイ収容所へ送られ、ここでしばらく抑留されたのち、ニュー・サウス・ウェールズ州(注:州都はシドニー。イギリスのウェールズの景観と似ていることから名づけられた。初期の植民地として、古い歴史を持っている)のヘイ収容所へ移動、ここで終戦まで抑留生活を送っていた。
 いずれの地域も、南部の大都市からは遠く離れた、内陸部の牛、馬、それに羊などの大牧畜地帯である。
 その牧草原の一かくに、鉄条網で囲まれたテント、あるいはバラック建てのハットが並び、それに守備隊用兵舎や輸送用仮設滑走路などを併設したのが、それぞれの収容所だった。」