●「続・知らざる日豪関係」(20)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「ラヴデイの収容所はほとんどが民間人ばかりで、軍人捕虜はごく少数だった。
 ヘイ収容所では全員が被収容者としての「赤い服」を着せられ、千名以上いたらしい日本人のうち、やはり十名前後が日本軍の軍人、あるいは軍属の捕虜だったという。
 かれらが南をはじめて見たのは、このラヴデイ収容所で、ヤスムラが脱走の話を持ちかけられたというのは、ヘイ収容所でのことである。
『南はな、ラヴデイのキャンプ(収容所)にはあんまり長いことおらんかったようやがな、わし何度も見たわ。
 いーつもこんなふうにして歩いとった。
 ああ、そりゃもうがっしりしとったで』」