●「続・知らざる日豪関係」(22)
〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜
「『ああ、いーつもフェンスの向うの飛行場ばっかり見とってなあ。
ヘイでも逃げよう思うとったんやろな。
そんときや、わしも誘われたんは。
しかしなあ、わしらなんか逃げても、なあんにもできんし』
結局南は脱走をはたせず、やがてほかの軍人軍属捕虜たちとともに、よその収容所へ送られて行き、ヤスムラたちがふたたびかれの名前を耳にしたのは、終戦後の復員船上でカウラ集団暴動が話題になったときだったという。
和歌山県太地(たいじ)町の出身だというヤスムラとアンザイが、英語混りの紀州方言で語ってくれたのは、わずかそれだけのことだったが、私の興味を強く刺激するものだった。」