●「続・知らざる日豪関係」(24)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「舞台が捕虜収容所という、影の部分だったからか、戦史にも出ておらず、したがって日本ではほとんど知られていない、少なくとも戦後派の耳には届かぬ事件だった。
 太平洋戦争の後期、一九四四年の八月五日、ニュー・サウス・ウェールズ州の田舎町カウラにあった、連合軍のカウラ第十二戦争捕虜収容所で、増え続ける日本兵捕虜を一つの収容所では収容しきれず、軍当局がその一部を他の収容所へ分離移動させようとしたことに端を発し、収容されていた日本陸海軍の将兵捕虜千百四名が、突撃ラッパを合図に自殺的な集団暴動に突っ走った。
 武器らしい武器もなく、食事用に支給されていたナイフ、フォークを手に手に持って、監視兵の機関銃座へ、守備隊の兵舎へと向って押し寄せるという、まさに自殺志願としかいいようのない大暴動だった。」