●「続・知らざる日豪関係」(25)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「その結果、ある者は銃弾に倒れ、ある者は自らの生命を絶ち、合計二百三十四名の死亡者と、百八名の重傷者を出した。
 戦場から遠く離れ、死の危険など微塵もない、否あってはならぬと思われていた収容所は、一夜にして地獄絵図と化した。
 日本兵捕虜たちにとって、そこは力尽き敗れた戦士が傷を癒す安全な場所ではなく、むしろ敗者復活戦ともいうべき、第二の戦場となったのだ。
 事件当時、人口わずか三千のカウラの町は、メインストリートであるシドニーへ続く街道沿いに、わずか全長二〇〇メートルにわたって店が並ぶだけの、『道一本にパブ二軒』という、典型的なオーストラリアの田舎町だった。」