●「続・知らざる日豪関係」(26)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「この静かで退屈な、そして平凡な町カウラが、ある日突然、町とはなんのつながりもない日本兵捕虜という狂気の集団により、その名をオーストラリア国内に知られるようになった。
 事件がオーストラリア国民に与えた衝撃は大きかった。
 カウラの名は、暴動事件の代名詞となり、バンザイ・アタックの日本人、ハラキリの日本人、そして天皇陛下の日本人という日本人像を民衆の間に固定化させるには、充分すぎるほどの材料となった。
 カウラの事件が、こうした形で知れわたっていることに気づいて以来、私はことあるたびに、古老の集まる街のパブへ飛び込んでは、老人たちに当時のことを尋ねて回った。
 笑いながら答えてくれる人、思い出すにつれ感情が激するのか、興奮しながら話してくれる人など、さまざまである。」