●「続・知らざる日豪関係」(31)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「しかし、本当にそうだったのだろうか。
 そこに千分の一でも万分の一でもよい、生きのびようとする、『生への執着』はなかったのだろうか。
 たとえ虜囚の身となろうとも、生きようという意志はなかったのだろうか。
 カウラの自殺的な集団暴動で、主役的な存在として、突撃ラッパを吹きながら死んだのは『南忠男』という、私とほとんど年の変わらぬ、二十代の海軍飛行兵曹だった。
 この私と同世代の青年もまた、戦場で死ねなかったがゆえに捕虜となり、そしてその『生』を恥じるがゆえに自殺したのだろうか。」