●「続・知らざる日豪関係」(47)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「英式(または豪式)のランキングシステムを、そのまま旧日本軍に置き換えるのはちょっと無理があるが、いずれにせよ『下士官』だったということだろう。
 南の生年月日は一九一九年三月二十日、出生地は神奈川県追浜町、入隊前の職業は農業である。
 そして『最近親者』という蘭には、『ミナミ トクシゲ、兄弟(BROTHER)』とあり、その住所もやはり神奈川県追浜町となっていた。
 捕虜名簿の表面の下半分と、裏面の全部は、捕虜の収容所間移動、負傷疾患の症状、入院病棟等に関する記録欄となっていて、ほかのほとんどの捕虜名簿は表面の記入のみで裏面は白紙であるのに対し、南のだけは両面ともわずかな空白を残し埋め尽くされている。」