●「続・知らざる日豪関係」(48)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「戦争初期に逮捕され、ラヴデイ、ヘイ、カウラなどの収容所における捕虜生活が長かったためである。
 そして裏面の移動記録欄の最後の行には、『胸部銃創、のち刺創。死亡、一九四四年八月五日、カウラ。カウラ戦争墓地に埋葬。墓標番号Q・C・18』と記されていた。
 八月五日はカウラ事件の当日である。 
 胸部銃創というのは、その暴動事件時の監視兵によるものだろう。
 刺創は、銃弾に胸を撃たれながらも死にきれず、ナイフあるいはフォークで、自らとどめを刺したものだったに違いない。」