●「続・知らざる日豪関係」(51)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「この頃から軍人の捕虜が続々と増えてゆくのだが、それまでは前述の軍属五名と、南忠男のみだった。
 大戦当時、日本軍将兵捕虜は逮捕時の訊問に対し、氏名階級はもちろん、生年月日や住所も偽称ばかりだったというので、南の捕虜名簿にある記述もさほどあてにはならないが、少なくとも逮捕された場所と年月日だけは、オーストラリア軍側、または連合軍側が記述しているので、ほぼ間違いないとみてよいだろう。
 南が逮捕された一九四二年二月二十四日といえば、真珠湾奇襲攻撃から、わずか七十八日後である。
 それに八日前の二月十六日には、シンガポールのパーシヴァル将軍率いる英軍が、山下奉文のもとに無条件降伏したばかりだ。」