●「続・知らざる日豪関係」(52)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「つまり一九四二年二月二十四日というのは、まだ日本軍が勝利に次ぐ勝利に酔いながら、破竹の勢いで南下していた時期である。
 この二月という日付けと、南逮捕のダーウィンという地名は、私にすぐある歴史的な出来事を思い出させた。
 一九四二年二月十九日の、日本軍によるポート・ダーウィン奇襲攻撃である。
 白人入植以来、その二百年の歴史において、オーストラリアはかつて外敵から攻撃らしい攻撃を受けたことは、ただの一度もなかった。
 軍事力を持つ国々から遠く離れた南太平洋に位置し、四方をインド洋、太平洋などの大海に囲まれた、いわば自然の安全地帯であると思われていた。」