●「続・知らざる日豪関係」(54)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「街の書店には、「オーストラリアの最も暗い日」、「1942ダーウィン」、「オーストラリアン・パール・ハーバー」などの本が並び、毎年二月十九日には、全国、地方の各新聞がこぞって記念記事をかき立てているのである。
(注:残念ながら、2年半の滞在中、これらの本に出合うことはなく、またダーウィンへの攻撃が、オーストラリア国民に、これほど深刻なダメージを与えたことを知る機会もなかった。ダーウィンとわたしが住んでいたメルボルンとは、距離が遠すぎた?)。
 公文書保管室で捕虜名簿を読み終わったとき、私は南忠男のダーウィン逮捕日と「AIR FORCE 」の記述から、もしかしてかれはこのポート・ダーウィン奇襲攻撃に参加した日本軍の、飛行機隊の一人だったのではないか、と思った。」