●「続・知らざる日豪関係」(61)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「むろん一日で終わるはずはなく、調べはじめてから何日間か、私はこのハチの巣のカプセルに通わなくてはならなかった。
 ダーウィン爆撃の資料は、ほとんど時間の経過に沿ってファイルされていた。
 シンガポール陥落後の、東南アジアにおける日本軍の不穏な気配を伝えるオーストラリア軍情報部の報告、二月十九日のダーウィン北方上空に「敵機発見」のメモ、そして爆撃、地上防禦砲火、爆撃による被害報告、防禦態勢変更指令などである。
「敵機発見」よりあとのファイルには、かなりあわてていたのであろう、ところどころ紙が破れるほど強く鉛筆で書きなぐったメモがいくつかあった。」