●「続・知らざる日豪関係」(63)
〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜
「まずポート・ダーウィン奇襲攻撃が行われたのは一九四二年二月十九日。
攻撃は飛行機隊による空襲のみで、艦艇による艦砲射撃などはまったく行われていない。
空襲は第一次と第二次の二波にわたって行われ、第一次は現地時間の午前十時である。
オーストラリア国内はその東西に広い大陸ゆえに、各州間に数時間の時差があるが、キャンベラのある首都特別地域と日本では時差が一時間。
ダーウィンのあるノーザン・テリトリーは連邦政府直轄の行政地域だったのでこれに倣う。
しかし空襲のあった一九四二年の初めより、連邦政府はデイライト・セイヴィングとして、夏期に一時間遅らせる制度(注:夏時間)を採用していたので、したがって第一次ダーウィン空襲は日本時間の午前八時である。」