●「続・知らざる日豪関係」(67)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「防戦らしい防戦といえば、空襲当時上空警戒にあたっていた、オーストラリア空軍のP40キティホークがわずか二機だけである。
 そのほかの飛行機はすべて出動する間もなく、地上銃撃で爆破されていたようだ。
 したがってわずか二機の戦闘機で、百四十五機もの零戦、艦攻、艦爆を迎え撃つなどおよそ不可能で、防戦はほとんど高射砲などによる地上防禦砲火に頼っていたらしい。
 ダーウィン市内外には、五基の高射砲と一基の対空機関銃座が設置されていた。
 人口比からすると防戦には充分な数のように思えるが、軍港や空軍の基地としての重要性の点からみると、決して多いとはいえない。(注:日本軍による「ダーウィン空襲」の話は聞いていたが、こんなに大規模で、激しいものとは知らなかった)。(中略)」