●「続・知らざる日豪関係」(71)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「『参照・墜落機ゼロの現場観察の電話報告、目的・メルヴィル島の現場調査』と題されたこの報告書は、一九四三年の三月二十九日の日付けとなっており、ダーウィン空襲より一年以上たってからのものである。
 報告書は情報将校のA・J・…(判読不可能)で、ダーウィンの情報部よりメルボルンの空軍部へ提出したものだ。(中略)
(この)報告書は、さまざまなことを教えてくれる。
 まずメルヴィル島に墜落した零戦の機体は、この「ZEKE」(注:ズイークとは、連合軍側が零戦につけたコードネーム)ただ一機であり、これは一九四二の二月に墜落したものに間違いない、ということ。
 それに、一九四二年三月には、すでにR・A・A・F(オーストラリア空軍)の機体回収班が墜落現場へ行っており、エンジンと機体の一部を回収してしまっている、ということだ。」