●「続・知らざる日豪関係」(78)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「オーストラリア軍情報部は、この男に対しておそらく情報入手を試みていたに違いない。
 捕虜調書に関しては戦争記念館資料室ではまったく手がかりがつかめなかったので、私はオーストラリア各地の公文書保管室へ、こうした記録が保管されているか否か、もしあるならばどこに保管されているのかを問い合わせる手紙を書いた。
 数日後、何通か届いた各保管室からの返事の中で、「当資料室にて保管」と答えていたのは、メルボルンの公文書保管室だった。 
 お役所仕事というのはどこの国でも同じらしく、記録一つ捜すにも、あっちの部こっちの部と飛び回らなくてはならない。
 メルボルンからキャンベラへ来て、そしてまたメルボルンへと行かなくてはならなかった。」