●「続・知らざる日豪関係」(79)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「捕虜調書は、例によって箱詰めのファイルになっていた。
 捕虜一名に対し一枚しかない捕虜名簿と違い、調書はオーストラリア国内にあったいくつかの地域伝令部、情報部、そして収容所で、それぞれ別個に作成されている。
 したがってそうした管轄ごとに調書もあちこちのファイルに散らばっていたし、また一人で何回も調べられている捕虜もいれば、まったく調書をとられていない者もいた。
 私は、ダーウィンの管轄である北部地域伝令部と、北西区域海空軍の情報部資料を中心に、連邦政府諮問委員会の開かれた一九四二年三月九日以前に逮捕された、飛行服の男に該当すると思われる調書を調べていった。」