●「続・知らざる日豪関係」(80)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「その結果、たった一人だけ、該当する日本兵が浮かび上がったのだが、その調書をファイルから抜き出して見たとき、私はやっぱり、と思った。
 調書の名前は、南忠男である。
 右の糸をたぐっても、左の糸をたぐっても、行きつくところは、このPWJA 110、001の南忠男だったのだ。
 南はかれの捕虜名簿の移動記録によれば、ダーウィンで逮捕されたのち、サウス・オーストラリア州のラヴデイ収容所、ニュー・サウス・ウェールズ州のヘイ収容所、そして同州のカウラ捕虜収容所に転送されている。
 それゆえに移動が多い分だけ、他の捕虜に比べ、調書を取られる機会も多かったと思われる。」