●「続・知らざる日豪関係」(92)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「またエンジンのみならず機体に関しても、A・J・某報告の陸上調査隊派遣ののちに、回収され、軍部により保管されていただろう。
 これは余談になるが、アメリカ軍は太平洋戦争の初期、戦闘力の優れた零戦を恐れ、いつも格闘戦に入るのは避けていたという。
 そしてアリューシャン列島でかなり完全な状態で発見された零戦を入手して以来、その性能の研究に乗り出し、やがてロッキードP38ライトニングによる、対零戦戦闘法を生み出したといわれている。
 このアリューシャンでの戦闘があったのは、一九四二年の六月である。」