●「続・知らざる日豪関係」(103)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


メルヴィル島のミリカピティ・カウンスル(役場の出張所のような機関)は、ノーザン・テリトリー航空史研究会に、一般公開と保存の目的で、機体残骸を所有することを認めた。
 ゼロの残骸は、研究会員らが、イースト・ポイント・ミリタリー・ミュージアムからの他の遺品類を保管している、耐サイクロン格納庫内に収容される』
 なんと零戦はあのダーウィン空襲の日以来、一九七七年まで回収されずにメルヴィル島タカプリミル・クリーク付近の墜落現場に放置されていたのである。
 そして三十五年ぶりにようやく機体を回収したのは、オーストラリア空軍でも政府機関でもない、単なる航空機愛好者の集まりである民間の団体だったのだ。」